ほむらちゃんと同様に2部構成になってしまいましたが後編スタートです。

出展:(魔法少女まどか☆マギカ)
どのような願いで魔法少女になったか?
鹿目まどか。彼女は物語の終盤でほむらの正体を知り、最終話で契約して魔法少女になりましたよね。彼女は今までのほむらを無駄にしないために「すべての魔女を生まれる前に消し去りたい。すべての宇宙、過去と未来のすべての魔女を、この手で」という願いの元、契約しました。
願いの代償は?
キュゥべえと契約し、満を持して魔法少女になったまどかは強大な力で最強の敵「ワルプルギスの夜」を倒しましたのですが10話の過去編で別時間軸のキュゥべえが「最悪の魔女になる」と言っていた通り、まどかはその後宇宙空間で最悪の巨大な魔女になりました。しかし、まどかは自分の願いにより自分自身の祈りから生まれた魔女を消滅させ、そしてすべての時間軸での魔女化する運命にあった少女を救済する「円環の理」と言う概念になってしまったのでした。全ての時間軸から魔女を生まれる前に消し去りたい、という願いを叶えたことによりまどか自身の存在がすべての時間軸から消えることになってしまいました。
総括
まどかは作中でどのような人物でどのような考えをしていたでしょうか?
- 心優しく他人を思いやれる
- 自己肯定感が低く、魔法少女へのあこがれ
- 他人の為なら自己犠牲をいとわない。
まどかは終始、心優しい性格でしたよね。母である詢子からも「嘘もつかないし、悪いこともしない」と評価されていました。心が清らかで純粋であるものの自己肯定感が低く「自分には得意な学科や他人に自慢できる特技もない。」と自分を低く見ていました。そんな中で魔法少女の存在を知り人助けの為に見返りを求めずに戦うマミさんに強いあこがれを抱くようになり「こんな私でも誰かの役に立てるのなら…」と一度は魔法少女になる、という決心し「マミさんはもうひとりぼっちじゃない」一緒に戦っていく趣旨を伝えたもののマミさんの最期を見てまどかは魔法少女になるのをためらうようになり「ムシがよすぎるよね…弱い自分でごめんなさい。」と自分を追い詰めるようになってしまいます。それでも、さやかと杏子の対立の際には自分が契約して争いを終わらせようと他人の為なら自己犠牲もいとわない子で、ほむらからも「その優しさがさらなる悲しみを呼ぶ」と言われていました。そんな優しさの塊で他人の為に涙を流せるまどかでしたが魔法少女の真実を知ってしまった後の9・11話で自宅の寝室でキュゥべえと会話をする際には「みんな騙されてただけじゃない。」や「みんなあなたのせいで死んだようなものなのに...」と作中で唯一、怒りを露わにするシーンは印象的だったのではないでしょうか?例えどのようなことがあっても怒ることなんてなかった、まどかがこのように怒りを表したのは初めてのシーン。
アニメを視聴した人からは「まどかは優柔不断で嫌い!」という声があるかもしれません。まどかは作中で一緒に戦っていくと決めたもののマミさんの悲惨な最期を見てしまい魔法少女になりたくない、と思うようになったもののほむらから何度も忠告されているのにも関わらずさやかと杏子の対立の際にはまた、契約しようとしたりしている為です。しかし、「優柔不断で嫌い、」と言う意見は人それぞれでありますが私はそうは思いません。誰であってもマミさんのような最期を見てしまったら前言撤回してしまうだろうし、優柔不断と思われるのは心優しくて自己犠牲をいとわない性格だったからマミさんの最期を見て魔法少女になりたくなかったけど、さやかが杏子と対立した時に自分が契約して仲裁に入ろうとしたり、さやかが8話で自暴自棄になった際には自分が契約してさやかを魔法少女から普通の人間の体に戻してあげたいという思いが強く表れたからではないでしょうか?たとえ、どんな時でも友達を見捨てない、という芯のある子であり6話で詢子に言われた「間違っちゃえばいいんだよ」という言葉にも背中を押されたんでしょうね...
以上で魔法少女まどか☆マギカキャラクター解説が終わりました。改めて5人全員にスポットライトがあてられ誰一人も陰が薄い、と感じたキャラはいなくて12話とは思えないボリュームのある作品でした。最終回まで見て終わったんだ...と激しい虚無感そして「ありがとう。まどか☆マギカ」という感謝の言葉でいっぱいでした。及び「まどか☆マギカ」は考えさせられる作品だったな、と感じています。作中では人間が家畜に対する接し方と同様にキュゥべえはある意味、自分たちを使い捨ての家畜に近い接し方をしていました。決して悪意があるわけでなく宇宙存続及び時代の発展のための唯一の方法だったんですよね。幸い、キュゥべえは自分たちを知的生命体と認識してくれていた為、人間が家畜に一方的に押し付けるのではなく魔女と一生戦わないといけないかわりに、願い事を叶えさせてくれるといった譲歩もしてくれてはいました。しかし、さやかが命を落とした際に「単一固体の生き死ににそこまで大騒ぎするんだい?」と。人間である以上激怒していたかもしれないけど、もしこれから出荷される家畜だったら多分「あ~代わりの家畜はいるからまぁ、いいやぁ」とそれこそ単一固体の生き死になど考えなかったはずです。及び人間が家畜に向けている目をインキュベーターは自分たちに向けていただけであった、ということになるしそもそもインキュベーターには感情がない、と価値観の違いによる理不尽!と感じる節が多かったですよね。
「まどか☆マギカ」の主要キャラ5人をまとめていきましたがよい話には裏がある!と言うのがしっくりきました。みんな願いを叶えたものの最後は皮肉にも自分の願いとは逆に裏切られる形になってしまいました。しかし、キュゥべえに苦言を漏らしたら「希望を祈ることにより何らかの歪みを生じるのは当然であり、その結末を裏切りと呼ぶなら願い事なんてするもんじゃないのさ」と言われそうですね。何かを得るためには何かを犠牲にする必要がありその犠牲のもとに自分たちの生活が成り立って居る。即ち、今普通に生活できている背景では尊い命の犠牲がある、ということを本作品は伝えたかったのではないでしょうか? 「まどか☆マギカ」を見ることで別視点で物事を見ることは大事なんだな、と人生の教訓の一部にできるのでは?と個人的には思いました。是非とも、「まどか☆マギカ」を未視聴の方はもちろん、すでに見たよ、という方ももう一度見て欲しいですね! 最後まで見ていただきありがとうございました。まどマギ編は以上になりますが叛逆やキュゥべえの解説や総まとめもいずれは作りたいと思っております。そちらの方は長い目で見てくださると幸いです。また、次のブログでお会いしましょう。



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